長崎県の史跡「烽火山のかま跡」からの長崎港の眺望です。

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春めいてきたので、「烽火山のかま跡」へ登ってみました。
若干の霞のベールががかかっていましたが、港が一望でき素晴らしい眺めでした。
海防のためとは言え、「よくこんなところを探したものだ」と先人たちの知恵に改めて
驚きました。
「烽火山のかま跡」
指定年月日 昭和43年4月23日
所在地 長崎市鳴滝3丁目447番地
寛永15年(1638)島原の乱平定後巡視に来た松平信綱(まつだいらのぶつな)の命により野母日野山(現在の権現山)とここに番所が置かれ、外国船来航は野母から五挺立て船で注進、ここから狼煙(のろし)を揚げて近国に通報する手順となっていた。
はじめ地元農民2人ずつ詰めたが、万治2年(1659)番士を新規採用して交替で詰めさせた。その後泰平が続き明和元年(1764)廃止された。
文化5年(1808)フェートン号事件であわてて復活再造。取付道路も修理されたが同12年また勤番を停止。文化6年廃止された。烽火台の壁高3.6メートル、坑口直径4.8メートルの円堤で下部に3ケ所の火入口あり、近くに用水池御番所(座敷・台所・風呂・柴小屋等)の跡がある。
(長崎市観光課)